また、福島県から送られてくる原発が作った電気を無自覚に容認し、享受してきた首都圏で暮らす人たちにも、加害者として責任の一端はあるはずです。この認識の上に立って、国や行政だけに頼らず、市民一人ひとりの力を結集したオール「牛の背」の立場にたった復興・再生を目指すべきではないでしょうか。あの事故からすでに10 年以上が経過してしまいました。もはや行動を起こすことに躊躇している時間はありません。
里山の機能は多面的です。しかし最も重要な点は、里山は人々が暮らしのために利用してきた山だということです。つまり、経済林としての機能から目をそらすべきではありません。 従って、私たちは再生に向けた一歩もここから始めるべきだと考えます。
「クヌギやコナラが椎茸用原木として利用できないなら、利用できる木に。それも当面は食と切り離すことが可能な木に樹種転換すべきではないか? ならば、その木とは何か?」 ここ数年、自問自答してきました。何種類かの樹種をあげることができます。しかし、経済林としての機能を第一に考える以上、「出口が見通せる木」でなければなりません。私たちは数年前から、それはウルシを突破口として始めるしかないと考えてきました。
縄文の時代から使われ、漆の国と言われてきたにもかかわらず、現在この国の漆の自給率は、5 パーセントもありません。大半は中国からの輸入に頼らざるを得ない状態が続いています。 文化庁は2018 年度以降、「漆塗りの国宝及び重要文化財建造物の修復に用いる漆について国産に限定する」と決定しました。しかし、必要な量として試算されている量の半分近くが不足しているのが現状です。漆の自給率を向上させるのは喫緊の課題なのです。つまり、逆に言えば、そこには「出口がある」ということに他なりません。
このプロジェクトは、「牛の背」で暮らす人々と共に、私たちの手でウルシを植え、管理し、育て、ウルシの森を未来の人に渡すことを目的としています。
森づくりには気の遠くなるほどの長い時間と人間の労力と資金が必要です。しかし、ウルシの木があれば必ずやそこに掻き手をはじめ、塗師や木地師や蒔絵師など、多くの職人やアーティストが集まり、原木椎茸と同様に自然に寄り添った生業が生まれ、中山間地の暮らしと景観が守られ、新たな文化が創られていくと信じています。
私たちが依拠すべき剰余は、マネーがマネーを産み出す金融資本の価値増殖ではなく、人間本来の労働が自然に働きかけることによって産み出される剰余価値と広葉樹の樹々が萌芽更新を繰り返しながら年輪を積み重ねていく循環的価値増殖に他なりません。
「振り返れば、そこにウルシの木があったから・・・」
未来の人にそう言わせたいのです。真っ黒になりながら炭焼きをしてきた先人たちが、私たちの時代に椎茸の原木林を渡してくれたように、私たちが生きている時代に汚してしまった「牛の背」を再生するために、今度は私たちがこの「背」の上にウルシの森を作り、50年先、100 年先の人々に渡したいのです。
皆さんと一緒に信じられる未来を、奪いあうのではなく世代を超えて与えあう社会を、今から共に作り上げることができればと思っています。