「振り返れば」から「見渡せば」へ

阿武隈の里山にウルシの木を植栽することを目的とした『牛の背ウルシぷろじぇくと』は、ウルシを足掛かりに生業を産み出し、長期的には暮らしのあらゆる領域において自立した自給圏を目指すという、里山の未来を創造する息の長い実践である。

その目的を達成するための私たちの基本姿勢は、都市住民が「支援し」被災した人々が「支援される」という一方通行の関係ではなく、無償の労働を通して共に汗を流しながら共に考え行動する関係性を築くこと。それを礎に、同時代に生きる一人ひとりの「意志の旗」を牛の背の里山に立てることにある。ここでは誰もが傍観者ではなく、公共財ともいえる里山を未来へ手渡す主人公に他ならない。

その姿は、保護させるべき地域を設定して土地を買い上げ、次世代に伝えていくために管理・保全していくナショナルトラストに重なる。ただ、私たちは土地や立ち木の所有を伴うトラストを目指していない。地権者との合意に基づき、所有を前提としない生業づくりを追求するための植栽という、単純かつ緩やかな「ウルシトラスト」、或いはまた「里山トラスト」を提案している。

イギリスにおける初期のナショナルトラストが単なる環境保護ではなく、文化的遺産の歴史的建造物を未来へ引き継ぎ保持することを掲げて始まったことを考慮し、私たちは保全された環境を利用し、そこから得られる産品、具体的にはウルシを歴史的建造物の修復に活用する道筋を想定している。時が経てば、合成漆器全盛の時代風潮からその価値が見過ごされている本漆器類への利用も増えるかもしれない。

里山は「野生の領域」と「人間の領域」のバッファーゾーン( 緩衝帯) である。この二つのあわいから人間を養うものの多くが生産されてきたと考えても差し支えないだろう。国土の実に約40%が、里地を加えた里地里山と試算されているからだ。ここが疲弊・消滅すれば、地方依存を続けて命脈を保ってきた都市の文明生活の将来はおぼつかない。また、野性と人間の接触機会の増大がもたらす人畜共通感染症を考えれば、里山消滅のリスクは疫学的にも過小評価すべきではないだろう。

だからこそ、野生の領域と人間の領域の境界線を守る「守人」が未来永劫にわたって不可欠となる。自然との境界線に立って、「ここは人間の生活する領域です」という標識を掲げてそこで生業を営んでいること、つまり、人間がその環境を糧として生活していることが重要だ。

「国破れて山河在り」という言葉がある。山河さえあれば国はそこを足場に復元可能だ。しかし、山河をひとたび失ったら復元することは難しい。里山も同様。そこに人がいるから里山なのであり、生業を失い住む人のいなくなった土地を誰も里山とは呼ばない。

大規模・短時間・低価格を旨に効率的に目的を達成してきた社会がどういう結果をもたらしてきたのか? 警鐘が鳴らされている里地里山の荒廃はその好例だろう。加えての原発事故。その反省に立って私たちは、市民一人ひとりが主体となる小規模で時間のかかる所業に取り組む。「新しいアイデア、新しいアプローチというものは2000 人の前では起こらない。そういうのは20 人~25 人が目撃する」( イアン・マッケイ) からだ。小さなコミュニティの変化が燎原の火ではなくとも小さな波紋となって広がり、「振り返ればウルシの木」が、いずれは「見渡せばウルシの木」に変貌を遂げるべく、私たちは努力を惜しまない。

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